「わたし」を分かち合いたい。

智慧を生きる人。自由気ままに絵を描くように、その命で智慧を表現する。“智絵”の名の通りに生きる。

幸せ

 

幸せという感覚を突き詰めていった先に

現時点で、行き着いたのは

 

自分のことを考えなくていい時

 

というシンプルな答えに至った。

 

 

自分が!自分が!

自分がどう見られるか

自分の思い通りにしたい

自分のことをわかってほしい

自分をどうにかしたい

 

 

この自分が!という意識に

わたしたちは、いつも

苦しんでいるのかもしれない。

 

 

だって、その自分は

自分のことを考えているようで、

ほんとは自分じゃないから。

 

 

自分とはきっと、そのような限定された存在ではないんだ。

きっと、もっと自由で、大きなもののようにおもう。

 

 

自分のことに意識を向けなくていい時

 

 

つまり、起きている目の前のことや

目の前の人や対象に、たった今、全意識を注ぐ時、

その小さな自分から解放され、忘れられる。

 

 

それは、現実逃避ともちがう。

 

 

無になって、ただ、その瞬間を楽しむ時や

誰かの幸せをただ純粋に願う時。

何かに没頭している時。

 

 

また、ある意味では、“自分が主役”という感覚から降りて、起きてくることに身を委ねて、

一瞬一瞬自分というものを世界に明け渡している時かもしれない。

 

 

 

そうやって、小さな自分が外れるその時、わたしは、

ただ、存在できる。

ただ、自分で在れる。

 

 

そういったことから、他者に親切にしたり、思いやること

その行動自体が素晴らしいというより、

その瞬間の小さな制限された自分を超えていける感覚が、とても素晴らしく気持ちのいいもののような気がしてる。