「わたし」を分かち合いたい。

智慧を生きる人。自由気ままに絵を描くように、その命で智慧を表現する。“智絵”の名の通りに生きる。

幸せの機会

 

 

ただ、いつも「機会」があるだけなんだとおもう。

 

幸せを選択するか?し損なうか?

 

「自分にとって」の幸せを汲み取って

力強く選択した時は、自分の感覚としてそれがはっきりとわかる。

それは、ホッとした感じや、あたたかい気持ち、ほのぼのとした感覚といった幸福“感”として感覚的にわかる。

 

また、選択し損ねた時も、感覚としてそれがはっきりとわかる。

それは、誰かの言う幸せを鵜呑みにして自分の心に聞かずに、その考えを採用してしまったり、

相手を小さな存在として見て関わったり、

大きな自分としての喜びではなく、小さな自分の利己的な喜びを優先した時に、

違和感やモヤモヤ、またはそこまではっきりとは分からなくとも↑で挙げた幸福感との違いは、はっきりとわかる。

 

 

または、幸せを選択したにも関わらず

その選択を間違いだったとしたい小さな自分が出てくる時も、はっきりとそれがわかる。

 

自分が感じていること以上に自分を教えてくれるものはない。

 

機会を損ねても、また次の機会があるから大丈夫。

だけど、人生の機会を大切にして、瞬間瞬間で、自分を幸せにする腕をあげたいとおもう。

  

自己中心的に聞こえるかもしれないが、究極的に、自分が自分に幸せを感じる機会を増やしてあげることが魂の成長と言えるのかもしれない。