「わたし」を分かち合いたい。

智慧を生きる人。自由気ままに絵を描くように、その命で智慧を表現する。“智絵”の名の通りに生きる。

自由であれ。

 

 

『いいイメージを持ってほしい』

 

 

わたしの中でこんな気持ちが湧く時がある。

 

 

 

たいがい人が誰かや何かについて

その人の世界の中で判断をくだして、

その判断がその人自身を苦しみに閉じ込めてしまっているように思う時に、わたしはそのように感じるらしい。

 

 

 

それって

自分がよく思われたいとか

誰かをもっとよく思ってほしいとか

そういう類の感覚なのかなぁと最近、自分を見つめていたのだけれど、どうやらそういうことでもないらしい。

 

 

 

単純に

その人の生きる世界が

その人を包む空気が

どうかおだやかで優しくありますように、という祈りに近い感覚なのだと思う。

 

 

 

と、同時に

 

 

 

自分が、自分に対して

それを一番に願っているのかもしれないな。とも感じている。

 

 

 

人が何を感じるかは、その人の自由だ。

わたしが何を感じるかも、わたしの自由。

そして、そういう自由を許容している時、わたしが一番気持ちがいい。

自由そのものであれる瞬間なのかもしれない。

 

 

 

 

だから、たとえ

人が誰かや何かについて

その人の世界の中で判断をくだして、

その判断がその人自身を苦しみに閉じ込めてしまっている「ように感じた」としても(事実かどうかは実際はわからないけれど)

 

 

 

そう感じた自分よ。

 

 

 

どうか、あなたの生きる世界が

どうか、あなたを包む空気が

おだやかで優しい感覚に包まれますように。と

 

 

 

祈るもう一人の自分の視線をひしひしと今、感じている。