「わたし」を分かち合いたい。

智慧を生きる人。自由気ままに絵を描くように、その命で智慧を表現する。“智絵”の名の通りに生きる。

2020-07-01から1ヶ月間の記事一覧

傷を求めて

傷つきに行きたい。 そんなの嘘のように思えるけど、人間には、傷つきに行きたい時があるようにおもう。 なぜ、このような衝動にかられる時があるのだろう。 自分でもわからない。 きっと人には様々な欲求があるのだとおもう。 幸せを願う自分と 痛みを願う…

いい格好しい

わたしは、このブログのURLをまだ誰にも教えていないし、ここにある記事は知り合いに読まれることは、まずない。 それなのに、どうして誰も読んでいない、目に触れることのない文字を書くのに、私はいい格好をしようとするんだろう。 いい格好は、誰にいい格…

言葉の自由

たとえ望ましい意味だったとしても 言葉を与えた瞬間、重くなったりする。 枠組みに分類した瞬間、何かが窮屈になる。 言葉から自由になりたいと思った。 わたしとは、何だろう? わたしとは、誰? 何の枠組みにも言葉にも当てはめることができないわたしと…

愛への理解

愛するということへの理解が深まる。 愛するって、きっと 好き嫌いの好きが増幅したものじゃない。 感情的なものや 一瞬テンションがクイッとあがったり、 ときめく、ワクワクといった類の感覚ともまたちょっと違うのかもしれない。 まだうまく自分の言葉で…

特別であること

分かりやすい劣等感や無価値、罪悪感よりも自分の優位性に気付いてそれをはずすことの方が難しい。 「他よりも」自分が優れていたいという意識が人が一番認めにくい、認めたくない闇(偏り)なのかもしれない。 本来、誰もが特別な存在なのだと思う。 それは…

魂と心と体の一致

自分の中の魂と心と体のズレは、 ドン底体験やインパクトある外的変化により気づかざるをえなくなることが多い。 だから、そういう事象にフォーカスが当たりやすい。 けれども、日常に“”スッと潜む”偽の自分の感覚や微細な違和感に気づくことがいかに大切か…

ことばのかたち

ことばのかたち おーなり由子 もしも話すことばが目に見えたとしたらどんなかたちを しているだろうたとえばーーうつくしいことばは 花のかたち色とりどりの花びらとなってくちびるから はらはら まいおちる大きくてやわらかい花はどんなことば?ちいさくて…

右脳と左脳

Twitterで「右脳と左脳」がトレンド入りになってて、久しぶりにこの動画のことを思い出した。 http://youtu.be/BsSWaYITW4g 何気ない日常に、深い洞察を与えてくれる動画。 後半からの描写がすごくて、感覚に訴えかけてくる。何度も何度も見ちゃう。

自由であれ。

『いいイメージを持ってほしい』 わたしの中でこんな気持ちが湧く時がある。 たいがい人が誰かや何かについて その人の世界の中で判断をくだして、 その判断がその人自身を苦しみに閉じ込めてしまっているように思う時に、わたしはそのように感じるらしい。 …