「わたし」を分かち合いたい。

智慧を生きる人。自由気ままに絵を描くように、その命で智慧を表現する。“智絵”の名の通りに生きる。

進化成長

 

 

幼い頃、自分の無知さゆえに

命を無駄にしてしまったことは、振り返れば、いくらでもある。

 


蟻の巣がどうなっているのか気になって

友達とほじくり出して遊んだこと

 


その蟻をお母さんに見せたくて

幼稚園バッグのポケットに、沢山入れて

うちに帰ったら、蟻がぺちゃんこに全滅していたこと

 


ダンゴムシを踏んづけたり、潰したこと

 


挙げれば、キリがない。

 


だけど、大人になった今は、

もうそんなことはしないし、

したいと自然に思わなくなっている。

 


もしも、わたしの幼い頃と同じような子供を今、見たら、わたしは、どう思うだろう。

 

 

きっと、成長の過程の中で、

無知さゆえのことだと、理解することができる。

 


そして、優しく教えてあげることはしたとしても、何かを強制したり、責めたり怒ったりする気にはきっとなれない。

 


広い意識で、今の人間を見た時

地球において人間がしてきたこと、していることも

 


発達や進化成長の段階の中で

幼さや未熟さ、無知さ故のことであると

大きな宇宙は、理解している気がする。

 


だからといって、人間が無作為に我欲のために搾取し、いのちのバランスを超えてしまっていることは、肯定されるべきことではないことも承知している。

 


それでも。

わたしたちは、許されている。

そう思うのはエゴ的かもしれないけれど

現に今、まだ人類は生かされているということがその証だとおもう。

 


宇宙は、全体は

万物の成長を願っている。

 


わたしたちが子供の健やかな成長を願うように。

わたしたち自身もまた、母なる大いなる何かに

抱かれながら、時に進化を促されながら

いつも成長を願われているような視線を時々、感じる。

 

 

 

そして、願わくば。

 

 

赤ちゃんが

哺乳瓶やおむつを卒業するように

 

 

小学校に入学する頃には

もう幼稚園で遊んでいた遊具で

自然と遊ばなくなるように

 

 

そんな風に

生きていて、ふと、心地よさが

変化する瞬間があれば

 


これまでしていたことや

古い価値観を手放して

 


そして、新たな地点から

新たな心地よさを

一人一人が探究してほしい。

 


我慢や犠牲、強制からではなく

自ら気づき、進化成長することで、

わたしたち人類を含めた全体が

より幸せになってほしい。

 


宇宙は、そんな成長を

心から望んでいる気がしてならない。