「わたし」を分かち合いたい。

智慧を生きる人。自由気ままに絵を描くように、その命で智慧を表現する。“智絵”の名の通りに生きる。

2022-06-01から1ヶ月間の記事一覧

合一しているものを二分し、二分されているものを合一させる、それこそ、自然の生命であり、私達の生活している世界の永遠の吸気と呼気である。 ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ『色彩論』

性的に引かれあう二人は、ほんのつかのま、合一の幻想を抱くが、もしそこに愛がなければ、その「合一」によっても二人は以前に劣らず離れ離れのままである。 こうした形で結びついた二人はたがいを恥ずかしく思い、憎みあったりすることすらある。 なぜなら…

たいていの人は、集団に同調したいという自分の欲求に気づいてすらいない。 誰もがこんな幻想を抱いている 私は自分自身の考えや好みに従って行動しているのだ、私は個人主義者で、私の意見は自分で考えた結果なのであり、それがみんなの意見と同じだとして…

愛の失敗を克服するただ一つの方法は、愛の意味を学ぶこと、その第一歩は、生きることが技術であるのと同じく、愛は技術であるということを知ることである。 愛の技術を習得するには、理論に精通し、その習練に励み、その技術を習得することが究極の関心事に…

私たちを苦しめる劣等感は、「客観的な事実」ではなく、「主観的な解釈」です。 主観は、自分の手で選択可能です。 アルフレッド・アドラー『嫌われる勇気』

西洋社会を客観的に見てみれば、兄弟愛・母性愛・異性愛を問わず、愛というものが比較的まれにしか見られず、さまざまな形の偽りの愛によって取って代わられていることはあきらかだ。 そうした偽りの愛こそ、じつは愛の崩壊のあらわれなのである。 エーリッ…

周知のとおり、こと相手が外国となると、どうしても客観的にみることができない。 相手国は堕落しきった極悪非道な国のように見え、いっぽう自分の国はあらゆる善と高貴さを代表しているように思われる。 敵の行動を評価するときと、自分たちの行動を評価す…

狂気に陥った人や眠っている人は、外界を客観的に見ることがまったくできない。 しかし、私たちはみんな、多かれ少なかれ狂っており、程度の差はあれ眠っているのであるから、世界を客観的に見ることができない。 いいかえれば、ナルシシズムによって歪めら…

愛の技術を身につけたければ、あらゆる場面で客観的であるよう心がけなければならない。 他人とその行動について自分が抱いているイメージ すなわちナルシシズムによって歪められたイメージと こちらの関心や要求や恐怖に関わりなく存在する他人のありのまま…

幻想、つまり自分が相手に関して抱いている非合理に歪んだイメージを克服し、相手の現実の姿を見るためには、相手を、そして自分自身を、客観的に知る必要がある。 ある人間を客観的に知ったときにはじめて、 愛の行為を通じて、その人の究極の本質を知るこ…

そう、自分の価値観に従いなさい。 それが役に立つと思うあいだは。 ただし、その価値観が役に立っているかどうか、最も気高く、すぐれた考えを体験する場をあたえてくれているかどうか、思考と言葉と行動を通じて、点検しなさい。 価値観をひとつづつ検討し…

何かをする理由は、一つしかない。 宇宙に向かって、自分は何者であるかを示すことである。 そうすれば、人生は自己の創造になる。 あなたがたは人生を使って、真の自分、こうありたいと願ってきた自分を創造する。 また、ある行動を拒否する理由も一つしか…

自分が何であるかを知るためには、自分ではないものと対決しなければならない。 これが相対性の理論の目的であり、すべての物質的な生命の目的だ。自分自身を定義するのは、自分でないものによってなのだ。 あなたがたは、実際に創造するまでは創造者として…

全ての責任を引き受けたときにはじめて力を得て、ほんの一部でも「変える」事が出来るようになる。 「こんな目にあう」とは、何か、あるいは誰かのせいだと考えている限り、どうすることも出来ない。 「私の責任だ」と言った時はじめて、それを変えられる。…

深く探ってみれば、人間の行動には二つの行動しかない。 不安か、愛か。 実は、感情の涙もこの二つだけだ。 不安はちぢこまり、閉ざし、引きこもり、走り、隠れ、蓄え、傷つけるエネルギーである。 愛は広がり、開放し、送り出し、とどまり、明るみに出し、…

溶け合いたいと望んでいたら 溶け合うことはない 同じモノが溶け合う 異なるモノは溶け合わない 〜ニールDウォルシュ〜

すべての死は常に その死を知る他のすべての人の 課題に役立つ 〜ニールDウォルシュ〜