茶番
今、流行りの病は“茶番”と
囁かれていたりするけれど
そもそも、それに始まったことではなく
あらゆるものが“茶番”であったりする。
自分が握りしめて、掴んでおける
実体あるものは
この世に何ひとつとしてない。
どんなに大切にしているものも
すべて、変わりゆく中の
一側面でしかない。
それは、祖母が亡くなった時、つくづく実感した。
あれだけ、大切にしていた
モノも財産も人も
何もかも、持たずに
あの世へ逝った祖母。
祖母が大切にしていたお金やモノは、
亡くなった今も一時的には形として存在しているけれど
これも永遠ではなく、使ったり劣化すると、なくなってしまう。
だけど、祖母は、わたしに
一つだけ大切なものを残してくれた。
手をつないで駄菓子屋さんに連れて行ってくれた、あの昼下がり。
小学生の頃になると、“もう駄菓子屋さんには、お姉ちゃんと2人でいけるよね”と、お小遣いを持たせて、送り出してくれたこと。
振りかえるといつまでも、手を振ってくれていた。
コーヒー牛乳を一緒によく飲んだあの木のテーブルごしに
“よく来たね”と笑いかけてくれたこと
庭の手入れをしながら、植物について教えてくれたこと
おばあちゃんの風呂敷を頭に巻いて、魔女ごっこをして一緒に遊んだこと
祖母を思い出すたびに
そんなささやかな記憶とともに
“ふわっ”とあたたかい感覚がよみがえってくる。
これは、大切なことだ。
わたしが、生きている間に
残せるものもまた
この実体のない“ふわっ”
だったりするのかもしれない。
ちょっとしたこと。
ほんの些細なおもいやり
優しさ
たのしさ
あたたかな思い出
それらは、あまりにも小さくて
見逃されやすいかもしれない。
けれど、それらは物理的な形としてではなく
詳細な記憶としてでもなく
“ふわっ”とした、あたたかな感覚として
物質的存在としての形がなくなった後も関わった人たちの中に残っていくのかもしれない。
大切なことなので、もう一度。
ちょっとしたこと。
ほんの些細なおもいやり
優しさ
たのしさ
あたたかな思い出
そんなことを人生の中で大切にしていけたらな、とおもう。