「わたし」を分かち合いたい。

智慧を生きる人。自由気ままに絵を描くように、その命で智慧を表現する。“智絵”の名の通りに生きる。

感覚

 

 

喜びに

「入っていく感じ」

「受け入れている感じ」

 

 

問題(よくないこと)を

「遠ざけようとする感じ」

「はねのけようとする感じ」

 

同じことをしていても

 

全然感じが、違う。

 

前者は

喜びにフォーカス

 

後者は

問題にフォーカス

 

前者は

のびやかで、軽やかで、自由な感じ

 

 

後者は

抵抗感、何かが滞っていて少し重たい感じ

 

 

「感じ」が違うってことは

どこに意識を向けてるかが、違う。

 

意識を向けてる先の違いによって

意図が違ってきて

使う言葉も何もかも、微妙に違ってくる。

 

「同じこと」をしているように、

「見える」のに。

 

似ているということは、本当に

見てわかることではない。

 

一緒に時を過ごしたりして、

感じるものだとおもう。

 

違うジャンルに興味があっても

同じことを大切にしていると感じる人もいるし

 

似てる共通点や趣味が多くても

大切な核の部分で

微妙に価値観が違うこともある。

 

だから、行動や話す言葉をなぞるだけでは、わからない感覚の領域がある。

 

だけど、自分のその感覚さえも、

実は、いつも少し疑ってみている。

疑うという言葉は適切じゃないかもしれないけど

 

信頼を置きつつも、

本当にそう感じているのか?

歪んでキャッチしていないか?

自分の感覚の歪みを外に反映していないか?

 

いつも色んな角度から、確認したり、

検証してみることにしてる。

 

信頼して、疑って

また信頼して。

を繰り返しながら

だんだん、感覚の精度は研ぎ澄まされていく気がするから。