「わたし」を分かち合いたい。

智慧を生きる人。自由気ままに絵を描くように、その命で智慧を表現する。“智絵”の名の通りに生きる。

珍味

 

 

何事も、自分の感覚から

選択したいとおもうタイプ。

 

あの人がこういったからとか

SNSYouTubeに流れてくる情報とか(情報自体にいい悪いはない)

 

参考にさせてもらうこともあるし

こうらしい、ということは

聞いたり見たりして、わかっていても

 

時に、自分のセンサーで確かめてみて

 

自分の内側から湧き上がる感覚を

聴いてみたくなる時がある。

 

自分の感覚を信頼できる自分でいたいと思っている。

 

そんな今日は、今日とて、

珍味の店に足を運んでみた。

 

珍味とは。

その名のとおり、なかなか珍しい味。

 

店構えも雰囲気からし

かなり風変わりなお店だった。

 

メニューは、日本にいると、食べたことのないものばかり。

 

 

干しイモリ

サソリの串焼き

ワニの唐揚げ

カエルの唐揚げ

アメリカザリガニのなんか

ハブのハイボール

タガメのサイダー

ウツボ

幻の魚なんちゃら

亀の手

熊の手、、

 

などなど。

 

試しに、干しイモリ、ワニの唐揚げ、サソリの串焼き、熊の手

をたのんでみた。

 

 

以下、感想。

 

 

干しイモリ

▶︎小魚の骨のような食感と味でありながら、油分を少し感じる。

独特の後味で、不味くはないけど、めっちゃおいしいとも言い難い。。

そこまで体は欲していないみたい。

本当に食べるものがなくなった時のタンパク質源として、昔の人は食べていたのかな、、

 

ワニの唐揚げ

▶︎カタイ。とにかく、固い。そりゃそうだ、これはワニの肉なんだから。

イカや焼肉のミノのような硬さに近い、いや、もう少し厚みがあって、噛み切るのにやたら時間がかかる。

イカとは違い、肉そのものに油味も感じる。その割に味は、あっさり。

どちらかと言うと、唐揚げの衣の味がした。

率直に言うと、これをわざわざ危険をおかしてまでして食べるくらいなら、もっと他に食べるものがある気がした。きっと昔の人もそうおもったんじゃないかな。知らんけど。

頻繁に食べたいものではなかったのは確か。

 

 

サソリの串焼き

▶︎見た目えげつない。黒光りしてる。恐る恐る、脚を食べてみた。海老のもっと磯の味が抜けたような、味が薄い感じ。ほっ。

しかし、ホッとしたのも束の間。

胴体の部分に挑んでみたところ、いきなり、“無理無理!”という体の反応が。

胴体の中にカニ味噌のような、黒いドロドロしたやつがあるのだけれど、その味が漢方のような苦味があり、なんだかすごく気持ち悪かった。

“毒は毒で制す”という言葉があるように、本当に体調の悪い時の何らかの劇薬として食べることは、万が一あったとしても、決して常用する代物ではないということは、誰に聞かなくても、身体でわかる。。

もし機会があったとしても、一生に一度でいい(そして、その一度は今回で終わった)そんな味がした。

お店のおかあさんが、夫婦で来店したわたしたちに

“これは体にいいから、一人一本食べてみなさい。”と勧めてくれていたけれど、二人で一本にしておいて、本当によかった、、と後から心底おもったのはここだけの話。

 

 

 

熊の手

▶︎一口食べた時の感覚が忘れられない。

脂がジュワっと出てきたのだけど、その脂の味は、一言で言うと“ヤバい味”がした。

これは、体に入れてはいけない!という感覚…。

人間の食べ物ではないというか、万物の自然の摂理に逆らうような、共食い(したことはないけど)に近い?禁断の味とでも言おうか。

とにかく“ヤバい感覚”が内側から湧いてきて、思わず吐き出してしまった。。

これは、今後、氷河期時代が来たり、隕石が落下したりして?本当の本当に、食べるものがなくなったり、よっぽどのことがない限り、食べなくていい。

 

 

 

結論。

シンプルに、“わたしが美味しいと感じるもの”を食べよう。

そう改めておもった。

 

今のところ、やっぱり、お野菜や野草が元気が出るし、お味噌や雑穀、玄米がやっぱり好きだ。

食べた後の体も軽い。

 

けれど、この感覚は、また変わるのかもしれない。

し、変わらないのかもしれない。

“これが正解”というより、

あくまで、“今の自分にとっては”

それが合っている気がするだけ。

 

あらゆる動物は、自然界で、

美味しいと思うものを

それぞれに食して、生態系のバランスを取りながら本来、成り立っているわけで、

人間も、本来はその例外ではないのだとおもう。

 

だから、身近でよくとれたり、普段よく食べられているものは、

やっぱり、人間にとっては美味しいと感じるものであり、その“素直に美味しい”という感覚は、

体の栄養面でみても、食物連鎖的にみても、理にかなっているのかもしれない。

 

ただし、その人間の本能的な味覚を

経済に利用するために、

捻じ曲げられたり、誤魔化され、欲のままに突き進んできたことも否定できない。

だからこそ、情報よりも、信頼できる舌にしておくこと。

普段からシンプルなもので、味覚を研ぎ澄ませておくことは大事だなぁ。

 

そして、“人間”とひとくくりにしてしまったけれど

これはあくまで、私個人の見解である。

 

人間は人間でも、同じ人間は1人もいない。

厳密にいうと、役割も、体の機能も、細胞も、腸内環境も、育ってきたバックグラウンドも。

一人として同じ人はいない。

 

だから、人に押し付けるものでもない。

 

そして、これからも

“今”の“自分にとって”ということを大切に

 

情報ベースで判断するのではなく

感覚ベースで捉えていけたらな、とおもう。

 

とにかく、とてもいい経験をさせてもらった。

今後の食べ方、生き方がまたはっきりした。

 

このような大切な経験をもたらしてくれた、いのちに。

その機会を与えてくれたさまざまな存在に、心から感謝したい。