「わたし」を分かち合いたい。

智慧を生きる人。自由気ままに絵を描くように、その命で智慧を表現する。“智絵”の名の通りに生きる。

究極の愛され術?

一般的に、いいとされる点も

それは誰かにとって都合がいいだけかもしれず

本当に善かどうかは、わからない。

一般的に、よくないとされることもしかり。

本当に悪と決められるだろうか?

あることは、

“誰かにとって”良かったり、悪かったりする。

ある人にとっては良いことが

隣の人にとっては、全くそうでなかったりすることがある。

すなわち、善、悪や

それをベースとした他人の評価というものは

非常に不確実なものだと思っていたほうがいい。

それは、自分についてもそう。

自分についても、人は観たいように観る。

以前は、人に好かれるために頑張っていたけど、不毛な努力をやめて

人にいいと言われた点や

誰かに批判やダメ出しをされた点

それら諸々含め

まるっと自分は、ただ自分なんだと

自分以上でもなければ以下でもないと

受け入れた時

ただ、そんな自分のことが

好きだとか、愛おしいと言ってくれる人に出会えた気がする。

まずは、自分を受け入れることから。

 

それにしても、今日は疲れているのか、胡散臭いタイトルしか思いつかない。とほほ。f:id:iamchiechan:20210831014410j:plain