「わたし」を分かち合いたい。

智慧を生きる人。自由気ままに絵を描くように、その命で智慧を表現する。“智絵”の名の通りに生きる。

まっすぐに自分を生きる

 

 

 

旦那さんが

“ずっと、こんな奥さんがほしいとおもっていたんだよね”と

ポロッと口にした。

 

 

 

起きたい時に起き

行きたいところに行き

やりたい時にやりたいことをする。

やれないことは、無理しない。

通常?妻の役割の一つとして考えられている、家事も料理も決して得意ではないけれど

 

 

そんなありのままの自分を

大切な人が、心から大好きだと言ってくれる。

包み隠したり、自分をよく見せようという意識がない中で、寛いでいられる。

 

 

今のわたしは、もしかしたら、

いつか夢見ていた、わたしかもしれない。

 

 

けれど、なぜだろう。

 

 

“もっと、わたしというイノチを全うしたい”

 

 

ふと、そんなことが深い部分から

躍動感を波打って、湧いてきた。

 

 

そう、次の成長のタイミングがきたのである。

 

 

ありがたいことに

毎日、楽しく過ごしているし、悩みもない。

だけど、新しいバージョンの遊びがしたい!という不思議な気持ちなんだ。

 

 

 

沢山の“自分以外”を見たり、関わることで

どんどん“わたし”が浮き彫りになってくる。

 

 

 

このイノチは、どう活かされたがってる?

 

自分はどう在りたいのか?

 

 

 

“それ”として生き切ることに、全うしたい。

自分だけの、イノチの道を追求して、

集中することに時間を使いたい。

 

 

 

わたしというアートを体験してみたい。(!)

 

 

 

自分のイノチの根源的なもの、イノチのタネに忠実に、そろそろ、まっすぐ生きてもいいのかもしれない。

 

 

 

タネが指し示すことに

耳をすませてあげよう。