「わたし」を分かち合いたい。

智慧を生きる人。自由気ままに絵を描くように、その命で智慧を表現する。“智絵”の名の通りに生きる。

SNSとわたし

 

自分をどう魅せるか?

  

  

どう魅力的な自分を演出し、

いかに価値ある人間かを

アピールできるか?

  

  
さらには、それによって

いかに人を惹きつけられるか?


(その先にはフォロワーを増やしたり、お金を稼いだり、そんな自分を好きになれたり、、?)

 


その手段にSNSを使うのは、

今の時代、手っ取り早いのかもしれない。

 


けれども、そのような使い方は

もう自分には、何となく合わない気がしている。

 


自己価値は、すでにある。

 


価値を外から補ってもらったり、

誰かに確かめる必要性、その手段は

きっと、今は、あまりもう役に立たないのかもしれない。

(それ自体、実は、かなり不安定で危うい。)

 

  


自分の理想像という、

偽りのアイデンティティを創り上げたり

それにより、自己価値を高める(高まったような気にさせてくれる)“道具”に、

何かを利用するエネルギーは、

今の自分にとっては、なんだか古い感じがする。

そこに魅力を感じたり、夢中になれない自分がいる。

 


他者に依存しながら

自己重要感を感じられることは、

ある意味、心地いいのかもしれない。

 

 

そして、それ自体を批判するつもりはないのだけれど

 


きっと“自分にとって”の新しい心地よさは、

 


全体がよりよくなることのために、

ただ、分かち合い、循環するための

エネルギーの通り道、その道具に

わたし自身がなること。

 


気持ちがいいと感じることや

万物から受け取らせていただいた豊かさ

 


その心地よさを

ただ、分かち合い、拡げること。

 

 

内なる美を

純粋に外にあらわすこと。

 

 

そして、気づいたら、

無意識に力が入ってしまったり

何かしらの意図を持たせてしまう時は

それさえも、一旦フラットにして、

肩の力を抜くこと。

 

 


そのような活用が

今のわたしには合っていて、気持ちがいい。

 


ふと、そんなことを感じた。