作るということ
スーパーで買うしかないと思っていたものも
一歩その思い込みの枠から出ると
意外と自分で作れるものばかり。
しかも、簡単に。
思ったより手間もかからない。
材料も自分の目で選ぶから、より安心安全。
それなのに、既製品を買うよりも、ローコスト。
そして、出きたてをすぐ使えるから、香りも質もよい。
使う分だけ作れるから、無駄もないし、酸化する心配もない。
いいことづくめ。
なんでも便利に、ズラりと並んでいる風景ばかり見慣れてしまうと、自動的に買うという選択肢に走り、作れるという発想を忘れてしまいがち。
今日、スーパーで手にとったその商品、自分で作ることはできないかな?
作ると、どれだけの時間やコストがかかるんだろう。
この商品は、どこからきて、どんなものでできているんだろう?
そうやって、商品の奥行きに思いを馳せてみるだけでも、新たな選択肢が見えたり、これまで買ってたものにも感謝の気持ちが湧いてくる。
もちろん、熟練した技術がないと作れないものもあるだろうし、時間にゆとりがない時は、既製品にお世話になるのもいい。
けれど、全てを一から作ることは難しくても
作れるかもしれない、、と思ってみることは、結構豊かな気がする。
そして今は、Google先生というスーパーアイテムがあるので、検索窓にキーワードだけパパっと入れれば、ヒントが出てくる。
これがまた面白い。
先人たちが残してくれたヒントを手がかりに、自分なりに、工夫して試行錯誤してみる。
そして、一度作ると決めたら、一つ一つの作業を丁寧に、あえて、ゆっくり作ってみる。
作るということ、それ自体が癒しであり、今にいる練習、瞑想のような効果があると思う。
そして、ゆとりを持てる(作るには、時間的にも気持ち的にもそれなりのゆとりが必要)ということが、なんとも豊かな気持ちにさせてくれるということに気付くかもしれない。
生活は意外なところから豊かになる。
これはちょっとした、幸せに生きる秘訣な気がする。