「わたし」を分かち合いたい。

智慧を生きる人。自由気ままに絵を描くように、その命で智慧を表現する。“智絵”の名の通りに生きる。

ことばのかたち

 

 

 

ことばのかたち

            おーなり由子

 

 



もしも

話すことばが目に見えたとしたら
どんなかたちを しているだろう

たとえばーー
うつくしいことばは 花のかたち

色とりどりの花びらとなって
くちびるから はらはら まいおちる

大きくてやわらかい花は
どんなことば?

ちいさくてかわいい花は
どんなことば?

うつくしいけれど トゲのある
ばらのような ことば

ありふれているけれど うれしい
シロツメクサのようなことば

声によって 色はかわるのかな

きっぱりとした声なら
オレンジの花
しずかな声なら 青い花
やさしい声は さくらいろ

そんなふうに

たとえばーー

だれかを傷つけることばが
針のかたちを しているとしたら
どうだろう

話すたびに とがった針が
口から 発射されて
相手に刺さるのが見えたとしたら

目のまえで つきささる針
思いもよらないことばが 相手に刺さるのを
見ることになるかもしれない

刺さった場所や
血のにじんだ傷口まで 見えるとしたら
ことばの使い方は 変わるだろうか

だけどーー

きびしく傷つけるような ことばでも
それが だいじな忠告だったときには
見わけがつくとしたら どうだろう

たとえば そんなことばは
木の実のかたちを しているとしたらーー

投げつけられるときは痛いけれど
ひろって育てたら実ることもある木の実

見て すぐ わかったら
素直に受けとることが できるだろうか

たとえばーー

恋人がささやく 愛のことばは

どんな色や かたちを しているだろう

やさしいばら色の花束?

あまい香りの
おいしい くだもの?

それとも
うすっぺらなリボン?

つなぎとめる金色の鍵?

虹色にひかって
パチンと消える
シャボン玉?

もしも ことばが 目に見えたら

もしも ことばが 目に見えたら

たのしい ことばは
     タンバリン!

かなしい ことばは
つめたい 水滴

自分を りっぱに見せるための ことばが
すぐに ひかりを うしなって
砂のように枯れていくのを 見るかもしれない

やさしい真綿のような ことばが
ぎゅうぎゅうと がんじがらめに
相手をしめつけるのを 見るかもしれない

ひとを ひれ伏させる
魅力的でつよいことばが

戦車のような かたちを していることが
          あるかもしれない

「だまっている」という ことばのむこうに

ゆたかな森が ひろがっているかもしれない

ことばに かたちがないから
すくわれることは
なんだろう

かたちが 見えたら
うれしいと思う ことばは
なんだろう

わたしの話す ことばは

どんな かたちや 色を
しているだろう

だれかを まもるために ついた うそなら

それは きっと

しずかで やわらかな毛布になり

なみだを わらいとばす ことばは

ひかる入道雲のように

あかるくわいて

雨のあとの虹をつくる

そして

みじかい正直な ことばが

こころの湖の ふかい場所に
すうっと さしこむ

とうめいな ひかりのように

花が うたいますように

ひかりが わらいますように

かなしみが

ぬれたみどりの葉っぱのように

まもられますように


まいにち消えていく
話しことばのむこうの

こころのかたちを さがす

たいせつなひとに

花のようなことばを
とどけることが できるように

とどいたことばが

こもれびのように

わらいますように