「わたし」を分かち合いたい。

智慧を生きる人。自由気ままに絵を描くように、その命で智慧を表現する。“智絵”の名の通りに生きる。

トレッド・ミルな世界

 

最近、読み始めた本にこんなことが書かれていた。

 

 

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「人はお金持ちになりたいのではなく、他人よりお金持ちでいたいだけだ」

 

 

おおおお。すごいストレートな表現だな、

 

 

お金、愛、SNSでの人気、知識、精神性の高さ、神秘体験の有無、見た目、モテ、いかに多くの人に慕われているか、いかに役に立っているか、いかに結果を出しているか、、、etc

試しに「お金持ち」を他の言葉で置き換えてみるとおもしろい。

 

 

このようなことって、世の中で普通に起きてることなんだと思う。

 

 

 

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経済学者のマティアス・ヴァンズビンガーは

このような、他人とのステータスの比較によって際限なく要求基準を上げていかなければならない現象について「ステータス・トレッドミル」と呼んでいるそう。

 

 

数年前、会社で働いていた帰り道の電車の中で

訳もわからず、涙がポロポロ出てきた時

さすがに、やばいなと思い、自分の人生について考え直したのだけれど

 

 

まさに、この時のわたしは

人間関係の無意識下で繰り広げられるステータス・トレッドミルに疲れてしまったんだと思う。

 

 

「繰り広げられる」と書くと、あたかも周囲の人や環境がそうだったみたいに聞こえるけど、実はそうじゃない。

ここであえて正直に話すと、紛れもなくわたし自身が一番、そのステータス・トレッドミルの先陣を切ってバチバチに参加していたのだと思う(!)

 

 

戦い続けなきゃいけない、挑み続けなければいけない、何かに勝ち続けなきゃいけない、苦しい。

勝てる優越感と隠しきれない劣等感。

たとえ勝てたとしてもそれは泡のようで。

しかもステータス・トレッドミルは先に挙げたように、一つのベクトルだけではない。

 

 

膨大に用意されたベクトルの中で

全てに勝ち続けることなんてできない諦めに近い気持ちや「自分なんて」という無価値感。

「いや、そんなことない、わたしならできる!」という謎の自己洗脳と偽りの自己肯定感。

 

 

ようやく仕事をやめたのに

勝てない試合をして負けた傷の痛みから

次こそ、自分が「勝てる」ベクトルを探し歩いている自分に気づいた時はギョッとした。

(もちろんその時の自分は「やりたいことをやっている」と思っていた)

 

 

 

人と繋がりたい

人といると疲れる

 

 

好きなことをして生きていたい

好きがわからない

 

 

行動したい

動けない

 

 

 

こーいう一見、矛盾した相反する気持ちが現代人や社会に渦巻くのは、単純に、「もっと気楽に繋がればいいやん!」「好きなことにこだわるな!」「とりあえず手と足を動かせ!」ということだけでは片付かない何かトレッド・ミル的風潮が少なからず影響しているように感じる。

 

 

巨大なトレッド・ミルが蔓延るこの世界で

自分は、そこに振り回されずに生きていると言えるだろうか?

人生が終わる時、「なんだかトレッド・ミルを走り続けるだけで終わってしまったなー(燃え尽き)」という感じにならないだろうか?

 

 

自分の中でまだこの「トレッド・ミル」に対する答えが100%出ているわけではない。

これからの研究対象。☺️

 

 

ただ、わたしなりに考えた現時点で

トレッド・ミルから自由になるコツは

 

 

①自分の喜びや成長を目的にすること

 

②自分が何かより優れているという感覚を手放すこと、もしそう感じるなら完全に幻想だと思うこと

 

③自分が何かより劣っているという感覚を手放すこと、もしそう感じるなら完全に幻想だと思うこと

 

たぶん③までをやると少しずつ④が少なくなってることに気づく。

 

トレッド・ミル内で人を上下に見たり、褒めることをやめる

→見そうになったらみんな元々ベイビーだった事実を思い出すw

 

④「正解」よりも「あたたかさ」で選ぶこと

 

⑤①〜④は誰のためでもなく、自分のため。

優しく器の広い、精神性とエネルギーの高い「イケてる人間」を目指すためでもなく、

完全に「自分が自分のためにくつろぎを与えるための取り組み」で、自分にしてあげられる「思いやり」の一つであることを認めること

 

トレッド・ミルについて語ることで、

トレッド・ミルに巻き込まれていないか?

批判的に観察すること

 

 

なかなか難しいかもしれないけど

束の間でもいいから外の世界からほんの少し距離を置いて、ひとりで自分を感じられる時間を持つことって大切だなぁと思う。

 

 

いつかステータス・トレッド・ミルを越えて

世界中の人が仲よく兄弟みたいに繋がれる、イッツ・ア・スモールワールドのような世界をみてみたいなぁ。