「わたし」を分かち合いたい。

智慧を生きる人。自由気ままに絵を描くように、その命で智慧を表現する。“智絵”の名の通りに生きる。

2022-06-15から1日間の記事一覧

合一しているものを二分し、二分されているものを合一させる、それこそ、自然の生命であり、私達の生活している世界の永遠の吸気と呼気である。 ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ『色彩論』

性的に引かれあう二人は、ほんのつかのま、合一の幻想を抱くが、もしそこに愛がなければ、その「合一」によっても二人は以前に劣らず離れ離れのままである。 こうした形で結びついた二人はたがいを恥ずかしく思い、憎みあったりすることすらある。 なぜなら…

たいていの人は、集団に同調したいという自分の欲求に気づいてすらいない。 誰もがこんな幻想を抱いている 私は自分自身の考えや好みに従って行動しているのだ、私は個人主義者で、私の意見は自分で考えた結果なのであり、それがみんなの意見と同じだとして…

愛の失敗を克服するただ一つの方法は、愛の意味を学ぶこと、その第一歩は、生きることが技術であるのと同じく、愛は技術であるということを知ることである。 愛の技術を習得するには、理論に精通し、その習練に励み、その技術を習得することが究極の関心事に…

私たちを苦しめる劣等感は、「客観的な事実」ではなく、「主観的な解釈」です。 主観は、自分の手で選択可能です。 アルフレッド・アドラー『嫌われる勇気』

西洋社会を客観的に見てみれば、兄弟愛・母性愛・異性愛を問わず、愛というものが比較的まれにしか見られず、さまざまな形の偽りの愛によって取って代わられていることはあきらかだ。 そうした偽りの愛こそ、じつは愛の崩壊のあらわれなのである。 エーリッ…

周知のとおり、こと相手が外国となると、どうしても客観的にみることができない。 相手国は堕落しきった極悪非道な国のように見え、いっぽう自分の国はあらゆる善と高貴さを代表しているように思われる。 敵の行動を評価するときと、自分たちの行動を評価す…

狂気に陥った人や眠っている人は、外界を客観的に見ることがまったくできない。 しかし、私たちはみんな、多かれ少なかれ狂っており、程度の差はあれ眠っているのであるから、世界を客観的に見ることができない。 いいかえれば、ナルシシズムによって歪めら…

愛の技術を身につけたければ、あらゆる場面で客観的であるよう心がけなければならない。 他人とその行動について自分が抱いているイメージ すなわちナルシシズムによって歪められたイメージと こちらの関心や要求や恐怖に関わりなく存在する他人のありのまま…

幻想、つまり自分が相手に関して抱いている非合理に歪んだイメージを克服し、相手の現実の姿を見るためには、相手を、そして自分自身を、客観的に知る必要がある。 ある人間を客観的に知ったときにはじめて、 愛の行為を通じて、その人の究極の本質を知るこ…