「わたし」を分かち合いたい。

智慧を生きる人。自由気ままに絵を描くように、その命で智慧を表現する。“智絵”の名の通りに生きる。

もう少しだけ

 

 

もう少しだけ もう少しだけ
踏み出せたのなら
そう小さな優しさを
分け合えたのなら
ありふれた一日が
素敵な日になっていくほら
そうやって何度でも
喜びはめぐる

 

 

もう少しだけ/YOASOBI

 

 

ーーー

 

 

そう。もう少しだけ。

ほんの少しだけ。優しくなれたなら。

たくさんの喜びが生まれる予感がする。

 

 

あなたにも、こんな経験、ないかな?

 

 

恥ずかしくても

戸惑うことがあっても

なんだか、むず痒くても。

 

 

それらの“考え”を振り払って

ほんの少しだけ、勇気を出して、

誰かや何かに、優しくなる時。

 

 

心の中の深い部分が、熱くなるような

 

 

じわっ

ぽっ

ふわぁっ

ぽかぽかっ

ほのぼの

 

 

という感覚を感じた経験は、

誰しもがあるんじゃないかな。

 

 

人間には、本来、そのような

優しさや思いやりを通して、喜びを感じる性質が、自然に備わっている気がする。

 

 

だから、なるべく、一人一人が

自分自身を自然な状態にしておくことって大切だな。

不親切になったり、自己中心になってしまう時は、きっと、「その人がそういう人だから」なんじゃない。

単に、社会全体が、効率や利便性を追求した結果、あまりにも、“自然さ”から人を切り離し過ぎてしまっただけなのかもしれない。

 

 

 

 

じわっ

ぽっ

ふわぁっ

ぽかぽかっ

ほのぼの

 

 

 

実は、その感覚こそが、今、人類がほんとうに求めているものなのかもしれない。

 

 

 

ずっと探し求めていた“喜び”や“幸せ”は

果たして、“幸せの形”の方なのだろうか?

 

 

 

何度もイメージ付けされた、幸せのロールモデル

だけど、そこに果たして、ほんとうに求めている幸せはあるのだろうか?

幸せを探して、彷徨い歩くことに、何の意味があるのだろうか?

 

 

幸せになるために、

幸せを感じて生きるために、

必要だと思い込んでいる多くのことは

果たして、本当に必要なんだろうか?

 

 

大きなことはできなくても、まずは、隣の人に、目の前の生き物に、ほんの少しだけ、優しくしてみる。

そういう、ほんの些細な、小さなことが

自分の幸せ(“じわっ”、“ぽっ”、“ふわぁっ”、“ぽかぽかっ”、“ほのぼの”etc...)に、とても、大きく関わっていることに気づく人が増えたなら、人類は、今よりもっと、優しくなれる気がする。

 

 

わたしたちが幸せや喜びを感じられる要素は、そう遠回りしなくても、この歌詞のように、毎日の瞬間、瞬間にありふれているのかもしれない。